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リパブリック讃歌(リパブリックさんか、原題: )は、アメリカ合衆国の民謡・愛国歌・賛歌であり、南北戦争での北軍の行軍曲である。作詞者は詩人のジュリア・ウォード・ハウであるが軍歌の作詞を女性が務めた珍しい事例でもある。原題を日本語で直訳すると「共和国の戦闘讃歌」となる〔。 == 経緯 == === おお兄弟達よ、我らに会わないか === 元々のメロディはウィリアム・ステッフによって1856年に作曲された賛美歌「おお兄弟達よ、我らに会わないか()」だったと言われている〔。ただし、この曲とステッフとの関連性については自身が生前に作曲者として名乗り出なかった点、他の音楽制作に関わらなかった点、ステッフ本人の書き残した手紙以外に物的証拠が存在しない点などから関与を疑問視されている〔櫻井 2006、11頁〕。 ステッフによる作曲という説は1880年代に登場したものであり〔櫻井 2006、10頁〕、英文学者のが1887年に『』誌で紹介したことを契機に広まった〔。マシューズによると1856年にサウスカロライナ州チャールトンにある消防団から「困ったことがあれば、我らに会わないか()」という歌詞に合う曲作りを依頼され、その曲に新たに歌詞が付け加えられるなどして後に讃美歌「おお兄弟達よ、我らに会わないか」へと変化したとしている〔。一方、ジャーナリストのボイド・スタドラーの調査では、1855年または1856年頃にフィラデルフィアのグッドウィル消防隊からバルティモアのリバティ消防隊を歓迎するための歌の作成を依頼され「困ったことがあれば、我らに会わないか」に曲をつけた、とステッフ自身が発言したという〔。 一部の研究者はステッフが作曲する以前に黒人の伝統音楽にルーツを持つとする説を支持している〔C. A. Browne, ''The Story of Our National Ballads'' (New York: Thomas Y. Crowell, 1960), p. 174〕 。このほかジョージア州に住むアフリカ系アメリカ人の婚礼の際に歌われていたとする説〔''Music of the Civil War Era'' 2004, by Steven Cornelius, Greenwood Publishing Group, ISBN 0-313-32081-0 ,p. 26〕、またはスウェーデンの酒宴の歌として生まれたものがイギリスに伝播し船乗りの労働歌として定着したとする説がある〔Boyd Stutler, "John Brown's Body", ''Civil War History'' 4 (1958): p. 260〕。ルーツを特定することは困難であるが様々な文化と民族から影響がもたらされたことは確かで、当時の音楽制作における復興運動の影響もあり自由な作曲が成された〔Annie J. Randall, "A Censorship of Forgetting: Origins and Origin Myths of 'Battle Hymn of the Republic'", in ''Music, Power, and Politics'', edited by Annie J. Randall (Routledge, 2004) 16. (Google books )〕 。 歌詞については1858年に出版された『ユニオン・ハープとリヴァイヴァル聖歌隊員』という讃美歌集が内容を確認することが可能な初出文献とされる〔櫻井 2006、9頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リパブリック讃歌」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 The Battle Hymn of the Republic 」があります。 スポンサード リンク
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